【書評】不死身の特攻兵 鴻上尚史

 アジア・太平洋戦争で特攻兵として九回出撃飛行し、生存した男、佐々木友次(ささきともつぐ)。

 私はこの特攻というと、死を強制、運命づけられたその同調圧力、暴力下、どのようにその空気を読まず、受け入れず、心が折れず、佐々木氏が生存することができたのか?そこに興味を惹かれ、本著書を読むに至った。その中身は私の浅はかな想像を貫き、佐々木氏は齢92にして尚、当時を思い出すことからくる、現代でいうところのいわゆるPTSDと呼称されそうな、精神的な苦しみを抱え、著者のインタビューに答えていただけた。ただそれだけを読む、見る、感じることができたことだけでも、本書を読むに値するものとしている。

 

 本書の佐々木氏のインタビューを読み、私が気になった発言は次のであった。

「いや、やっぱり それは寿命ですよ。寿命に結びつけるほかないの。逃げるわけにはいかないのいかない」

 

「 まあ寿命ですよ。寿命は自分で決めるもんじゃないですから」

 著者の鴻上氏も同じく、この佐々木氏の発言にある寿命に感じるものがあったとのことだった。

 残念というべきではないが、やはり、この特攻を生んだ日本人のというべきか、根源的なものは何も解決してないことを、終章で著者はある別の著書を引用し、語ってくれた。特攻から生還した、ある当事者を、特攻に出撃をしなかった、同じ時代を生きた予科練の仲間が生還者を面罵(めんば)するというあるシーンとともに。

 当事者は口をつぐみ、当事者ではない傍観者が当時者の気持ちを、その空気感を、後世の世代へ代弁してしまうこと。戦後70年を経過してなお、我々は何も学んでいないことに恐怖を感じさせてくれる、そんな書籍であった。