【書評】津波の霊たちーー3・11 死と生の物語(リチャード・ロイド・パリー著)

 著者はルポタージュ取材を主とするジャーナリストであり、英国のザ・タイム紙のアジア編集者であるリチャード・ロイド・パリー氏。私は彼の傑作「黒い迷宮: ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実」を読み、調査報道の、そのレベルの高さに驚かされた。

 今回の著書を読む際、英国文化をバックグラウンドに持つ著者から見て、震災被害をどのような視点で描いて魅せるのかと思いページをめくってみた。たしかに、比較文化論として本書を読むのも一計だとは言えるが、むしろ本書では、我々が持っている、3・11の震災からあぶり出された宗教的な慣行、信仰心について、゛発見゛されている。

 私は、著者があぶり出してくれた、日本人の宗教観について、それをうまくまとめられてると感じたのは、次の内容であった。

日本では、霊的信仰(霊を信じること)は信仰心の一表現というよりも、単純な常識として捉えられることが多い。そんな考えが何気なく当たり前のように蔓延しているため、多くの人がその存在をつい見逃してしまう。「欧米社会における死者と日本の死者は、同じように死んでいるわけではない」と宗教学者のヘルマン・オームズは指摘する。「我々よりも死者を生きた人間に近いものとして扱うことが、日本でははるか昔から当たり前とされてきた・・・死は生の変形であって、生の反対ではない」

  日本人は無宗教と日本人自身が言っているのは、上記の引用でその考えが誤っていることを説明できる。

 次に引用するのは、著者が取材で感じた感じた違和感について。

この文言は、圧倒的大多数の日本の住民−−−−震災によって個人的に影響を受けなかった人々−−−−による連帯感を宣言することを意図するものだった。しかし、哀悼の意としては言わずもがな、同情を示す表現としても奇妙な言葉に思えた。「マラソン選手のように耐え抜け」とほぼ同じような意味の言葉をかけられることが、自宅や家族を失ったばかりの人々にとって、本当に慰めの源になったのだろうか?がんばろうという言葉に、私はいつも違和感を覚えた。

 空気を読め。この言葉が生まれた文化的な背景について、著者は震災被害者の取材を通し、はからずも我々にその根底を突きつけてくれる。

古い時代の日本に住む人々は、文句も言わずに黙々と働いた。そうやって黙り込むことが何より大切だった。もし自分たちが立ち上がって議論を始めたら、他人にどう思われるのだろう?そう彼らはひどく心配した。住民たちは変化することを拒み、変化するための努力を拒んだ。‘’理想的な村社会‘’とは、対立が不道徳とみなされる世界だった。ちょっとした不調和さえも、暴力の一種だと考えられる世界だった。

 

津波の霊たちーー3・11 死と生の物語

津波の霊たちーー3・11 死と生の物語