【書評】応仁の乱 呉座勇一

 本書はタイトルの通り、1467年、室町時代に京都を中心に始まった戦乱の1つである応仁の乱について、学術レベルから一般向けに落とし込んで、その歴史的背景について説明がなされている。

 応仁の乱と言われ、自分自身が思い出すことは、単純に1467年を単純に丸暗記(「いーよな、老爺(ろうな)は」で語呂合わせ)したことしか記憶になく、歴史小説でもこの物語をトレースした代表作は存在しないものと記憶している(間違っていたら、誰か教えてほしい)。

 そんな一見して、地味な戦乱(と言っては失礼だが)は、実は、多くの死者と短くない期間(11年ほど)も続いた戦乱だと言う事実にまず驚かされる。そして、この戦乱に類する歴史的な事件としては、第一次世界大戦開戦の端緒となったサラエボ事件が、この応仁の乱と歴史的背景が似ているということに、私は驚かされた。

 私が中学の頃に習ったサラエボ事件は、塾講師が少しだけ詳しかったこともあり、いろいろと説明していた記憶があるが、端的にまとめると「いつの間にか始まっていた」だったように記憶していた。本書では以下のように、記述されている。

第一次世界対戦は一言で述べるならば、新興の帝国であるドイツが、覇権国家イギリスを中心とする国際秩序に挑戦した戦争である。だがサラエボ事件を受けて、オーストリア支持を打ち出し、セルビアへの開戦を促したドイツにしても、セルビアを支持するロシアやフランスとの全面戦争を最初から望んでいたわけではなく、ましてイギリスとの衝突など想定していなかった
 これは イギリス、フランス、ロシアなど他の列強にも言えることで、各国の指導層は必ずしも好戦的ではなく、むしろ誰も意図しないまま世界大戦に突入していった。

 しかも全ての参加国が短期決戦を志向したにも関わらず、戦争は長期貸総力戦の様相を呈した。勝者であるイギリスフランスも甚だしく疲弊し、ヨーロッパ世界全体の没落を招いた。
 著書の呉座氏が主張れるていることは、私が塾講師から教わったことよりも、事実関係をより仔細に述べた点を除けば、おおよその概略は同じであろう。

 そもそも誰にも望まれずに始まった戦争であり、短期間で終わると思ったことが、いつの間にか多くの国を巻き込み、戦争の中心地である欧州では、どの国も利することもなく、ただただ疲弊しただけ。

 この状況は、サラリーパーソンの諸氏にも思い当たるフシが絶対にあるはずだ。

 例えば、

(1)考えの足りない役員の一言から何気なくプロジェクトが始まる

(2)皆、短期間で失敗で終わるものと予想

(3)だらだらと社内調整がスタート

(4)なぜが誰もがやる気のない中、1人、プロジェクトで火を吹く奴が現れ、そして誰もこいつを止めるのが面倒でかかわらるのを避ける

(5)多くの部署が考えるのをやめ、調整が済んでしまう

(6)そして、プロジェクトを止める者がいなくなる

(7)当初案とは少し違った内容(妥協の産物)でまとまる

(8)稟議決裁を済ませ、だらだらとプロジェクトが正式スタート

(9)期間は当初想定されていた期間よりも長くなる

(10)年度の異動を経て、いつの間にかどこの部署が管理主体であるかわからなくなる

(11)なぜこのような事業が始まったのか?当時の背景を知るものはいつの間にかいなくなる

(12)これをやめるのにさらなるエネルギーを要し、誰も触りたがらないレガシープロジェクト完成!!

みたいな。

 グチはここまでにして、応仁の乱に戻す。応仁の乱も新興勢力たる山名氏が、 覇権勢力たる 細川氏を中心とした幕府秩序に挑戦した戦争と言う性格を当初は持っていたが、それがいつの間にか多くの武将を巻き込み、誰もが調停役をおさめるわけでもなく、ただただ京都が戦乱の中、没落していったのが実情であったとのこと。

 このことから学べることは、主体者のいない、当事者意識のないままに、だらだらと多くの利害関係者が止められず、引きずってしまう事象を起こしてしまうのは、集団心理の誤謬(ごびゅう)からくる人類の悲しい性(さが)なのかもしれない。

 

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)