【感想】ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。  幡野広志

 著書は、就学前の1人息子と妻がいる写真家であり狩猟も嗜(たしな)む、年齢は35歳(2018年に本書が出版された時点)の幡野広志(はたのひろし)氏。この本が出版されることとなったのは、幡野氏が息子のために、地図のような、コンパスのような、息子自身が成長していく上で役に立つ言葉を残したくて、ウェブで発信してきたことによる。

 息子に向けてそのような言葉を残そうとしたのは、彼が血液のがんに侵されており、それが寛解(かんかい)する見込みは、高くはいことから。

 がんという言葉を聞くと、小林麻央氏の闘病について、ブログを通じて彼女の闘病の過程を知ったこともあり、思うところは多々はある。特に、私は看病する家族の目線で彼女の記事を読んだが、命が短くなった親族をケアすることについて、その覚悟は自分にはまだない。そして、執拗(しつよう)に闘病の経過を記事にしようとするマスコミの対応の酷さも目に余ったことを記憶している。

 今現在でも、多くのがんに罹患(りかん)した患者に関するニュース記事からは、残念ながら、感動ポルノと呼ぶと罵倒がすぎるが、この病に侵された方々の、その気持ちについて、現在進行形で進む心の揺れ動きについて、他人が知れることはない。どちらかというと、運良く治った元患者の成功体験談、がん治療での副作用、がんが発覚するまでに起こった身体の異変(がんの予兆)についての記事が多いように思う。もしくは、闘病の途中で、世間からも注目されなくなってしまうことも。

 コミュニケートが密に取れる身内、友人でもない限り、その治療の経過や患者の身の回りに起こることを知ることは無い。

 本書では、幡野氏ががんに罹患していることが発覚してから、自身の身の回りて起こったこと、今も起こり続けていることを知ることができる。幡野氏はそれを「優しい手」もしくは「優しい虐待」と形容している。

 末期ガンであることがまわりに知れるにつれ、僕にはたくさんの「優しい手」がさしのべられた。
「とにかく安静に。細心最善の治療をして、1日でも長く生きてほしい」
 親や親戚と言った身内の優しさは、概ねこんなところだ。
 その治療がどんなに過酷で、残りの日々をベッドでしか過ごせないとしても、「とにかく長く生き延びる」ことが大事らしい。

 寿命が短いことを悟った人に、ゆっくりしてほしいと言葉をかけるのは、暴力に等しい。そのような闘病体験談のブログを読んだことがあったか、やはり正しかったのだ。この引用した文面だげでも、幡野氏の怒りを、その行間から読み取ることができる。

 困りながらブログでガンについて書いたところ、「優しい手」は増殖した。
「奇跡の水でガンが治る」
「〇〇ヒーリングで『気』を整えれば、ガン細胞が消えます」
 どうやって番号を調べたのか、スピリチュアル療法や代替医療をはじめ、パワースポットや宗教の勧誘のメッセージや電話がくるようになった。
(中略)

 連日、大量にくるあやしい勧誘やお見舞いコールに負け、10年以上使用していた電話番号を解約した。フリーランスのカメラマンが電話を解約させられるとは悲しいものがある。

 幡野氏のような、本当に困ってる人を喰い物にしようとする輩(スピリッチュアルな連中)の多さに驚かされる。幡野氏以外にも、このような暴力を受けている人がたくさんいることだろう。このような人間にはならないよう、自分自身へ戒めたいと思う。

 この文章を読み、私だけではないと思うが、この言葉を想起したひとは少なないと思う。

 地獄への道は善意で敷き詰められている

 

ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。

ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。