【感想(続き2)】日本の「中国人」社会  中島恵

【感想】日本の「中国人」社会 中島恵 - 鳥木ケンのブログ 〜金融系が多め

【感想(続き)】日本の「中国人」社会 中島恵 - 鳥木ケンのブログ 〜金融系が多め

(前回からの続き)

 引き続き、「日本の「中国人」社会 」を参照、私個人で持つ在日中国人について知っていることと突き合わせなら、感想を書きたい。

 今回分の内容を要約すると、次のとおりとなる。

1.中国から日本への投資案件が、2015年を潮目に、増えてきた。そこには、業務や投資について、日中で隔絶的なギャップが存在する
 

2.同じ国籍の外国人を、〇〇人と一括(ひとくくり)にして、人間性を捉えてしまう。我々が接する外国人は、その国の一部のグループであり、すべてを代表しているわけではない
 

3.SNSの発達により、日本にいながら、日本以外の外国文化圏が形成される。しかしながら、それは日本人とその外国文化を持つ人々との間で交流がなくなる。文化摩擦を恐れず、お互いに相手の顔を見て、コミュニケーションをはかる必要がある。

 中国からの投資について、書いていきたい。中国マネーが日本の不動産を奪っている、のような言説が存在する。そもそも、不動産は読んだ字のごとく、動かせない財産からくる言葉のとおり、不動産を国外へ持っていかれることはない。管理コストを負担し、投資までしてくれてありがとうぐらいのスタンスでいいのだが。

 外国へ技術流出す懸念についてはその通りだが、中国での各先端技術を利用した技術革新等は内製化が進んでおり、いつまでも対日投資案件があるという視点も厳しくなると考えるべき(中国びいきとかではなく、国家間のパワーバランスの流れからして、抗えない)。ましてや、日の丸ディスプレイ案件がどのような帰結になるかを想像すれば、ため息がでてくるでしょ?

 話は飛んだが、対日投資が2015年から増えてきているらしい(なぜこの年からなのかが気になる。中国内での外貨規制かの影響?)。そのような案件仲介に携わる中国人から、次のように発言されている。

具体的に増えているのは後継者がいない日本企業の買収や業務提携、不動産投資といった案件だ。

日本では「中国人が日本を乗っ取ろうとしている」などと報じられることもあるが、どうも実情は違うらしい。

 「中国では魅力的な投資先がなかなか見つからない、あるいはすでに投資し終えたから、日本に目が向いているのです。とにかく余剰資金があるので、日本企業に投資し、技術を買いたい、何でもいいのでお金を使いたいという相談事が多く寄せられています

 上記の記述に則ると、中国国内では金余りが進んでいるのかもしれない。何故に、そのような莫大なマネーを有しているのかも気になる。

 中国では、個人では未だにクレジットカードが使えず、信用経済が発展途上の段階である。それにもかかわらず、国内での投資先がなくなっているというのは気になる。正直、金融相場の安定を脅かす要因になりそうで怖いところがある。

 次に、中国の競争社会の空気感がわかる一文を引用したい。

 「中国人には、とにかく何でも早くやらなければ、という"焦り"があるのです。中国では半年後には市場が180度変わっているかもしれないからです。ほんの少しタイミングを間違えたら儲けのチャンスを逃してしまう。それが中国社会。だから、とにかく急ぐのです」
 中国企業には、とりあえず欲しいものは手中に収め、短期間に大徴けするというパターンが多く、技術をコツコツと情み上げていくという発想はあまりない。一方、日本側にとっては、そのようなビジネス・スタイルは受け入れがたい。

 半年後に中国社会が180度変わってしまうというのは、モノの例えではなく、本当にそうだ。

 インフラ面では、ゲームのシムシティのごとく、街が大きく変貌(へんぼう)する。例えば、何もない田舎町へ一年ぶりに訪ねたら、スターバックスの入った大きなショッピングモールが開発されていたとか、高速道路が完成していたとか、私個人の体験でも枚挙(まいきよ)に暇(いとま)がない。

 このブログを書いた頃、日経新聞記事でプライバシー権をガン無視で顔認証システムによる決済を゛導入する゛と記事があった。

 また、知り合いの中国人曰く、高校生の授業は生徒一人一人にタブレットを配布、AIによる個別授業へと展開していくため、多くの学校の先生が失業の危機に貧していると聞いた(こちらについては、まだ、日本国内の主要メディアでは記事になっていないように思う)。社会変化のダイナミックさは羨ましいものがある。

 次に、中島氏が若干、自省した内容について引用したい。実は、私も彼女と同じことに気づき、反省した過去がある。

 在日中国人コミュニティと、日本人コミュニティの情報網は大きく異なる、ということだ。
 ちなみに中国人同士だからといって、みながみな、同じ情報を共有しているわけではない。
 私(注:私は中島恵を指す)が付き合う中国人グループは、ほかの在日中国人グループ(たとえば西川口や横浜のグループ)とはかなり顔ぶれが異なり、バックグラウンドや趣味嗜好も相当違う。
 私はウィーチャットなどを通して、日本に住む中国人たちと濃い付き合いをするうちに、ほんの少しだけ、そのなかのひとつのグループに足を踏み入れることができたのではないかということに初めて気づいた。

 あくまでも、自分が付き合っている外国籍の友人が、その出身国のすべてを体現しているわけではない。当たり前だろと指摘を受けそうだが、自分で気づくのはなかなか難しい。なせなら、そのことを指摘してくれる人がそもそもいないからだ。

 例えば、あなたがフィリピン人と仲良くなったとする。彼、彼女はミンダナオ島出身でとする。そんな知人が、フィリピンの文化を代表していると思う?フィリピン国内で多勢を占める宗教はキリスト教であるが、ミンダナオ島出身者にはムスリムが多い。出身地によって、同じ国でも、そもそもの文化が異なっている。

 そして、次の引用について、中国人に限らず、多くの外国人ないし海外に居住する日本人も同様の現象が起こっている。

 むしろ、日本国内に中国人が増えれば増えるほど、中国人同士のコミュニティが強化されて、日本社会から隔絶された「空間」を大きくしていく面もある。その背景には、SNSの発達という要素も大きく関係している。

 SNSでほぼ無料で常時、海外にいる家族、友達と連絡を取れるため、全く言語が上達しないケースが増えている。単(ひとえ)に、文化的に異なるバックグラウンドを持つ人との交流がないからだ、たとえ外国に住んでいても。

 これがどのような影響を及ぼすか、ヨーロッパやアメリカの移民問題を例に出すまでもない。

 それを嘆いていても仕方がない。我々、市井の人ができることは何か?

 

 これは、日本人にとっても、中国人にとってもあまり健康的ではないように思える。時間はかかるのだろうが、お互いに少しずつ歩み寄り、理解を進める必要がある。完全に理解し合うことは難しいかもしれないが、少なくともその努力はすべきだろう

 その際には、中国人コミュニティの「閉鎖性」だけを問題にする前に、私たち日本人の「閉鎮性」についても自問すべき点がないかも考えなくてはいけない。
 たとえば、些細なことだが、しばしばメディアなどで「中国人のゴミ出しのマナーがなっていない」と問題視されることがある。この閉ざされた思考が、ますます海外から来て日本で暮らす人々を孤立させる面がないだろうか

(中略)おそらく、ここで必要なのは、「中国人のゴミ出しのマナーは……」の「中国人」を個人の名前に置き換えてみることだ。
 自国で暮らす外国人を特別視するのは、日本人ばかりでないというのは、最近の世界のニュースからも明らかだが、できるかぎり、「○○人は……」と一括りにする視点を捨てることが、開かれた社会につながっていくのではないかと思う。

 今こそ、お互いの顔と目をしっかり見て、直接対話する機会を作っていくことが、ますます大事になってくるのではないかと感じている。

(注:太文字は鳥木)

 外国人とは言わず、その個人の名前と顔を念頭に入れてほしい。対個人では、何も問題なく、日本のルールを守って生きているだろう。一部の、ルールがわからない外国人がいるからと、その国の人を全否定するのは懸命な考え、行動ではない。部分否定の全体否定は、論理が破綻している。

 上記のゴミ出しのルール違反からなる、軋轢(あつれき)について、日本国籍を取得した元インド人で、江戸川区議会議員となったプラニク・ヨゲンドラさんも同様の指摘をしている。

 決して、ワザとやっているのではなく、日本のルールがわからないからだ。そして、そのルールを教えてくれる日本人はいない。交流がないからだ。

「優秀なインド人が日本から流出している」江戸川区議に初当選したよぎさんが語る在日インド人のリアル

 我々は、多様な文化的バックグラウンドを持つ相手と、今後、対話(日本人が想像する以上に大声を出し合って)をしていかなければならないことを気付かさせてくれる。

日本の「中国人」社会 (日経プレミアシリーズ)