【感想】教養としてのテクノロジー 伊藤穣一 アンドレー・ウール

  マサチューセッツ工科大学MITメディアラボ所長て、AIや人工知能なるバズワードが絡むメディアでは、よく名前が登場する伊藤穣一氏。近年、研究者というよりは、MITメディアラボの資金集めのために、世界中で講演会を行い、自分の弟子をお披露目したり、研究テーマへの資金集めをメインに活動されているイメージがあった。

 残念ながら、大富豪にして性犯罪者のジェフリー・エスプタイン(注:このエスプタイン氏については謎が多い。気になるようであれば、リンクの記事が要参照)から多額の寄付金を受け取ったことから、現在、その職から実質的に追放されている状態である。

 

富豪慈善家の性犯罪と怪死…謎の「エプスタイン事件」世界に走る激震(平 和博) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

 

 人格と成果については分別して評価するべきであるし、マスコミ報道をそのまま鵜呑みにするのも、自分自身の知能低下を起こしてしまう。今回の事件は抜きに、伊藤穣一氏が著者となった「教養としてのテクノロジー」について感想を書きたい。

 本書は彼の弟子であるアンドレ・ウール氏の名前を売るために出版されたものと思われる。また、新書版であるので、ページ数が少ないため、現在のアメリカ西側でのテクノロジー界隈のトレンドについて、大まかな外観について記述されている。

 今回は、お酒の席で自慢できると、頭がいいと思われそうな1つの本書のトピックを参考に書いていきたい。

 来年の2020年には、東京オリンピックが開催される。現在、日本国内ではマラソンと徒競走の開催場所が札幌となるか否かの駆け引きが行われているように報道されているが、あれは完全に出来レース。決定事項だけれども、マスコミも売れる記事づくりで、しゃぶり尽くしている最中(さなか)であろう。

 そんな色のついた東京オリンピックであるが、これと同時に開催されるのが、パラリンピックである。現在の東京パラリンピックは、障害者のための大会という位置づけではあるが、身体機能の拡張という観点から、伊藤穣一氏はパラリンピックを考察している。

 これについては、私も同じことを考えており、少子高齢化社会の中で身体機能の向上をお披露目する場がパラリンピックであると思っていた。みんな、同じようなことを考えているのだなと安堵した記憶がある。当該箇所について、引用したい。

新たなテクノロジーの登場で、バラリンピックが従来のオリンピックより面白いものになってくる可能性が見えてきました。

障害者(注:原文ママ言葉狩りとしての、「障碍者」をあえて使用しなかったと思われる)の方々はそれぞれ障害のレベルが違うので一概に言えないところはありますが、「障害者のためのスポーツ競技会」という従来の常識をくつがえすような試みを行うには、非常に良いタイミングのように思います
まさに、第四章で紹介したアーティストのヴィクトリア・モデスタが、自らのパフォーマンスで義足のイメージを変えたように、世界中の注目が集まる2020年のパラリンピックは大きなチャンスに思えます
 表からは見えづらいところはありますが、もっと障害者をブランニングの段落から参加させて、様々なイメージを変えていくきっかけを積極的に作っていけばいいのにと思います

 こので登場したヴィクトリア・モデスタについても言及しておきたい。彼女はMITメディアラボのフェローであり、「バイオニック・ポップアーティスト」と自称して活動する、アーティストでもある。

 彼女の何がクールかというと、言葉で語っても野暮になるので、次のサイトから彼女の活動を観ていただきたい。

VIKTORIA MODESTA

 義足のイメージを利用し、よりクールに昇華させようと、彼女の多くの活動の中の一つとして、活動されている。

 日本にも義手・義足をつけて活動するアイドルがいる(次の記事を参考)。今後、障害の定義も上書きされてくることだろう。


義手の「欠損アイドル」として、私が積極的に活動する理由 | News&Analysis | ダイヤモンド・オンライン

 

 人は皆、高齢者になり、身体機能の低下を経験するのだから、高齢者と障害者の違いはない。それは、誰もが経ることになる道なのだから。

 他にもスプツニ子!なる知的に面白くてクールな人材も登場する。本書を読み、伊藤穣一氏は面白い人材を生み出していたにもかかわらず、彼が活躍の場を失ってしまったのは残念でならない。