【感想(続き)】ユダヤの商法(新装版)   藤田田

【感想】ユダヤの商法(新装版) 藤田田 - 鳥木ケンのブログ 〜金融系が多め

(前回からの続き)

 日本でのマクドナルドのフランチャイズ展開を推し進めた藤田田(ふじたでん)の経営哲学で、彼がユダヤ人から学んだことについてサラリーパーソンが役立ちそうな箇所を、本書を引用して紹介していきたい。

 引用する箇所のエッセンスを端的にまとめれば、次の通りとなる。

  1. 女と口

  2. ケンカを持ち越さない

  3. 神との契約

【女と口】

 女をターゲットに商売すること。それと、口(飲食)をターゲットに商売をすべきと説いている。ブーム、流行となっている商品は女性から火がつくものが多いし、買い物やレジャーでは、女性が女友達を誘ってショッピングに繰り出す姿を想像すれば、この言説も腑に落ちる。アクセサリーなども買わされるのは男であるが、それを欲しがるのは女だ。ターゲットにすべきは女性であろう。

ユダヤ商法に商品はふたつしかない。それは女と口である」
私は二〇年近い貿易商生活の中で、ユダヤ人から何度、この言葉を聞かされたか分からない。(中略)商法というものは、他人の金をき上げることであるから、古今東西を問わず儲けようと思えば、女を攻撃し、女の持っている金を奪えというのである。これがユダヤ商法の公理であり「女を狙え」というのはユダヤ商法の金言なのである

 次は口(飲食)について。

女性用品はたやすく儲かるが、これを扱うにはある程度の才能が必要である。商品の選択からセールスまで商才"が必要だ。しかし、ユダヤ商法の第二の商品である『口』は、凡人でも、凡人以下の才能しかない人でもできる商売なのだ。『口』、つまり、『口に入れるものを取り扱う商売』のことである。(中略)口へ入れられた商品は、刻々と消費され、数時間後には次の商品が必要になってくる。売られた商品がその日のうちに消費され、廃棄されていく。

 中国華僑は飲食が多いイメージがある。この口(飲食)については、中国華僑は負けてないが、女(アクセサリー)については、デビアス社に代表されるように、ユダヤ人が強いイメージが私の中ではあった。40年前にかかれた本書でも、同様のことが確認できた。

 

【ケンカを持ち越さない】

 外資で働いている人は、結構、思い当たるフシがあると思うが、怒鳴りあってディスカッションしても、ミーティング後には普通のテンションてケロっとしている外国人(白人同士が多い)の光景を。

 なかなかこの文化には慣れなかったが、似たような経験を著者も経験している。それも商談の場で。

(引用者注記:ユダヤ商人と)いざ商談に入ると、たいていは難航する。ユダヤ人は、こと金銭に関する取り決めは、うるさくて細かい。マージンの一銭一厘、契約書のちょっとした書式にも、口角泡を飛ばさんばかりで、時によるとかなり激しい口論になる。ユダヤ人は日本人の得意な『まあまあ主義』は決して認めない。意見が分かれるようなことがあれば、どちらの意見が妥当であるか、徹底的に議論する。激論からののしり合うようになることも珍しくない。商談が一日で円満裡(えんまんり)に成立する、ということはまずない。

 このディスカッションの文化は、ユダヤ人が迫害されてきた歴史を考えれば、異教徒との交渉事で決して妥協する姿は思い描くことはできないと思う。むしろ、日本人の議論ベタをどうにかならないかと個人的には悩ましい限り。

 著者は、ユダヤ商人との怒鳴り合いの交渉を行っても、彼らは翌日になはケロッとした姿で現れるとのこと。私の個人的な経験でも中国人も同様に怒鳴り合いを行っても、すぐに交渉の場におさまり、解決策を話し合うことはある。日本人残念ながら、ケンカ別れが多い。

初日は、はとんどはケンカ別れになる。私も、これまでユダヤ人相手に何度激論を交し、何度ケンカ別れをしたか分からこんな場合、日本人は半ば商談を打ち切るつもりになる。あるいは、打ち切るつもりはなくても、ケンカした手所、相当の冷却期間をおかないと、テレくさくて相手の顔をまともに見られたものではない。ところが、ユダヤ人は、ケンカ別れをした翌日、ケロリとした態度で、ニコニコ笑いながら「グッド・モーニング」とやってくる。こちらとしては、前日のケンカの典無はおさまりきっているわけではないから、唖然とするか、当惑するか、いずれにしても不意をつかれたような気持ちになる。「何がグッド・モーニング"だ、この毛唐。きのうのことを、まさか忘れちゃいないだろうな、べらぼうめ!」そう、怒鳴りたい気持をグッと噛み殺して、つとめて平静を装いながら、手を差しのべる。しかし、心中の動揺はいかんともしがたく、落ち着かない。こうなると、七分通り敵の術中に陥ってしまったのも同然で、敵はこちらの動揺を見すかしたようにニヤニヤしながらも、主導権を握って攻め立ててくる。しどろもどろで応戦していて、気がついた時は敵の思い通りの条件をのまされてしまっていた、ということになる。

 アジア人はポーカーが弱いとか何とか言われるが、どこかこの交渉の弱さが原因の一つではないか思ってしまう。

 

【神との契約】

 キリスト教圏の欧米でも、なかなかに契約については煩(うるさ)い。例えば、あちらの送金ミスでも、我々側にその送金に係る手数料を受け取り手に負わせようとする契約にしようとするから、契約書のデューデリでは仔細に読み込まなくてはならない。煩(わずら)わしい。

 ユダヤ商人との契約では、契約の相手に履行させること、何よりもその取り立てが、苛烈に厳しい。

ユダヤ人は契約の民、といわれている。それだけに、ユダヤ商法の神髄は「契約」にある。ユダヤ人は、いったん契約したことはどんなことがあっても破らない。それだけに契約の相手方にも契約の履行は厳しく迫る。契約には甘えもあいまいさも許さない。ユダヤ人が契約の民といわれるように、ユダヤ人が信奉するユダヤ教は契約の宗教ともいわれ、旧約聖書は「神とイスラエルの民の契約の書」とされている。

 シェークスピアの「ヴェニスの商人」に登場するシャイロックをイメージした人も多いと思う。

 また、ユダヤ系の商社で働いていたという立川光昭(以前、このブログでも書籍を紹介した)氏も、契約に煩(うるさ)いユダヤ人の行動様式について述べていた。

 ユダヤ商人の契約を履行させる、決して妥協することがない姿が想像できる(でしょ?)。

「人間が存在するのは、神と存在の契約をして生きているからだ」ユダヤ人は、そう信じている。ユダヤ人が契約を破らないのは、彼らが神としているからである。神様と交わした約束であるから、破るわけにはいかないのだ。「人間同士の契約も、神との契約同様、破ってはいけない」ユダヤ人はそう言う。それだけに、債務不履行という言葉は、ユダヤ商人には存在しないし、相手の債務不履行に対しては、厳しく責任を追及し、容赦なく損害賠償の要求をつきつける。

(続く)

ユダヤの商法(新装版)

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勝てば官軍(新装版)

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