【感想(芸術−鑑賞法)】美意識の値段 山口桂

 本の帯に「大推薦」、「絶対に読む価値あり」とあれば、テレビのCMでいう「興行成績全米№1」と謳(うた)った映画と同じく、壮大なフラグとなることは間違いない(いい加減、この手のフラグは景品表示法で規制してしまったらどうだろうか(笑))。

 本書もご多分に漏れず、「大推薦」とフラグをたてていたが、推薦者が福岡伸一平野啓一郎の名前が使われていたので、フラグは考えす、まずは読んでみることに。結果、フラグが発動どころか、むしろ読後に美術鑑賞へ行きたい気持ちにさせてもらった。

 著者は2大オークションハウスの一つ、クリスティーズに勤めている(もう一つの有名どころが、サザビーズ。プロレスで言うヒールのような名前なのがまた興味深い。ベビーフェイスはもちろん、クリスティーズ)。そのジャパンデスクの代表を勤めているのが山口桂氏。長州閥を字にしたような名前だが、書いてある内容は至極まっとう(というと大変失礼)。プロの目線から、芸術について、その価値(金額や値段のことではない)について、教授してくれている。嫌味っ気は全く無く、むしろ素直に美術館へ足を運びたい気持ちにさせてくれた。

【3つのD】

 オークションハウスといわれて馴染みが無いので、その仕事についた著書を引用していきたい。美術品のオークションの大きなイベントとして、「3つのD」が存在する。それは

  • Death(死)
  • Debt(負債)
  • Divorce(離婚)

を意味する。どの言葉もその意味することはネガティブであるが、優良な美術品がオークション市場に出回るタイミングとしては、この3つのDが絡むことが多い。それについて著者は次のように述べている。

私がこの仕事を始めた頃にこの「3D」の機会に遭遇した時は、自分の勤めるオークション・ハウスがまるで死神か疫病神の様な不吉な物に思えたりもしたが、勿論今は違う。「3 D」の機会に於けるオークション・ハウスの務めとは、ひとりのコレクターが長い年月を掛けて大切に集めた美術品を、そのコレクターの名誉と共に調査研究し、美しい図録に掲載したり下見会を開催したりする事によって、新しい所有者を探して後世に残す、と云う大事な役割を果たす事なのだと理解している

 このような矜持(きょうじ)を持って仕事ができる著者を羨ましく感じるサラリーパーソンは多いと思う。

アートは人を介されば、決して存在しないし、受け継がれていかない。そしてアートはその持ち主の人生と共に、流転して行くのである。

 文学作品を読んだかのように、アートの流転に何か甘らかの甘美さを感じられる。

【来歴】
 ところで、美術品の値段はどのように決まっているのだろうか?ここが素人からは値付けはブラックボックスであり、どこか怪しさを感じるところかもしれない(本書を読んだ後も、個人的に美術品の査定についてはまだ訝(いぶか)しんでいる)。査定の際、大まかに次の4点が重視される。

 

  • 相場
  • 希少性
  • 状態
  • 来歴

 

 相場、希少性、状態は何となくイメージが湧くかと思う。ただ、この「来歴」とは何か?次のように説明されている。

 この「来歴」とは、その作品が辿ってきた「道」の事だ。例えば重要文化財に為っている長次郎作の黒楽茶碗《銘 大黒》を例に取ってみよう。この茶碗は長次郎の黒茶碗の中でも大振りな事からこの名前が付いているが、この茶碗程その「来歴」がはっきりしているモノも無い。この《大黒》の来歴は、恐らくはこの茶碗の制作者長次郎に注文したであろう千利休(一五九一年没)が所持して以来、利休の婚養子の少庵(一六一四年没)、孫の宗旦(一六五九年没)と千家を経て、一時宗旦門下の後藤少斎の元に移動するが、表千家四代江岑宗左(一六七二年没) の時代に千家に戻り、表千家七代如心斎宗左(一七五一年没)の頃迄千家在、その後三井浄貞の手を経て江戸時代中期には鴻池家に入り、戦後現在の所有者に移ったとされている。要は、十六世紀後半から二十一世紀の今迄、《大黒》の辿ってきた道筋、「来歴」の殆ど全てが判っている訳だが、この事実、四〇〇年以上の間戦争や地震の多かった日本で、《大黒》自体が失われずに残って来た事の次位に凄い事だと思いませんか 。

 当たり前ながら、幾多の災害や戦争を人類は経験している。美術より、明日の食料を求め、人類は多くの飢饉を経験してきた。それらを経てなお、その作品を残されてきたこと。その歴史、来歴の重みを感じることができると思う。

【鑑賞方法】

 著者は本書を通じて、本物の一流、一級品の美術品を鑑賞することが大事であると述べている。では、そのような素晴らしい作品が展示されている美術品を、どのように鑑賞すればいいか?

美術展での鑑賞法のヒントを聞かれる事も有る。この時に云うのは、先ずは展示室ごとに自分の好きな作品を決めてみては?と云う事である。例えばピカソ展 に行くとする。最初の展示室を見て、その部屋を出る時に、自分が好きな作品を一個覚えておくなり、一寸書き留めておくなりするのだ。自分個人の好き嫌いで構わない。そうして、次の 部屋に行く迄に、一分でも二分でも良いから、何故自分はこの作品が好きだと思ったのか?に就いて考えてみる。出来ればノートやメモ帳(会場で禁止されていなければスマホでも)に書いてみる事をお勧めする。色が良かったとか、構図が良いとか或いは其処に描かれた女の子が可愛らしいとか、何でも良い。それから、次の部屋に進んでみる。

 自分の感覚でいいらしい。この作業を展示室ごとに続けよう。

これを展示室ごとに続け、展覧会を観終わったら、今度は展示全体の中で自分の記憶を辿り、どれが一番良かったかを考えてみる。もしくは其処迄に挙げた展示室ごとのマイベストを、10個なら10個、今一度来た道を戻って観直してから、決めるのも良いだろう。その上で、何故それが一番だったか、改めて考えてみましょう、と云うのが私のお薦め鑑賞法である。

 著者はこの作業に加え、できれば図録をとって、作品の解説を読むことを推奨している。その解説によって、自分の中の考えがいろいろと影響を受けるであろう。

(続く)

 

美意識の値段 (集英社新書)

美意識の値段 (集英社新書)

  • 作者:山口 桂
  • 発売日: 2020/01/17
  • メディア: 新書