【感想】数学を使わない数学の講義 小室直樹

「頭が割れそうで気持ち悪くなるほど、算数が苦手」

 そのような苦手意識を持つ人は多いと思う。その多くが、数式をみて反射的に頭が痛くなるらしい。本書は数式は一切登場せず、読みすすめることができるので、数学嫌いの人にも読みすすめることができる。

 本書では、数学の論理をベースに、さまざまな学問分野へそのエッセンスを用いて、どのように思考するかを学ぶことができる。

 

【存在問題―近代数学最大の貢献】

 ギリシャ数学から公理主義が発達した。

ユー グリッドの幾何でいえば、五つの公理だけをまず仮定する。言い換えれば、それ以外は何も知らなくてもすむ。つまり、あとの問題は、この公理からすべて導き出せるという、まことに素晴らしい構造になっているわけである。しかもその導き出す手段は形式論理学 (日常言語を用いず、三段論法・記号論理学など理論の形式的構造を研究する論理学)に限られている。

 ユークリッド幾何学のすべての定理が5つの公理だけで解けるのである。使用される論理学により、一義的に証明がなされる。曖昧さを一切残すことなく、証明がなされる。

 だから何と言われそうだから、もう少しだけ読み進めてほしい。これはあくまでも前置きなのだから。

 さて数学の常識で数学教師の非常識を暴きたい。

 このように言われると頭に?(はてな)が思い浮かぶだろう。具体的に本書を引用していきたい。

たとえば、あなたの友人の一人があなたに対してこう言ったとする。「実は、俺の妹は兄貴の俺も惚れ惚れするほどの美人なんだが、どういうわけかお前に惚れちゃってどうしようもない。よかったらお前、ひとつ妹とデートしてくれないだろうか・・?」

(中略)いそいそと出かけて行くことだろう。ところが、その喫茶店には、友だちが一人でいるだけで、妹なんて影も形も見えない。「どうしたんだ」と問い質すと、「悪いなあ。 実は俺は一人っ子で、妹なんていないんだよ」と言ったとする。もちろん、あなたは カッカと頭に来て「嘘をつくのもいい加減にしろ!お前なんかもう絶交だ」と言って喫茶店を飛び出すに違いない

 普通に考えれば、ウソをついたことになるが、数学的な論理で行けば、一人っ子はウソをついてはいない。

 ゼロの概念をつかい、妹が存在しないとすれば、妹について何を言っても正しい。ようは、「存在しないものについてはいかなる命題も成り立つ」、それが数学論理の一つの特徴である。

 これを応用し、一つ数学教師が誤りを伝えたい。

学校の試験の際に、"次の図形で対角線が直交するものを挙げ"という問題を出された。もちろん、その問題文の下には、いろいろな図形がズラッと並んでいたのだが、その中に三角形もあって、あまりできのよくないその子は、三角形に丸をつけてしまった。数学の教師は、当然のこととしてその答えに対してバッテンをつけた。しかし、これは本当におかしいのである。というのも、三角形には元々対角線というものが存在しない。だから、存在しないものについては何を言っても正しい。つまり、直行すると言っても、しないと言っても正しいことになる。

 これを読み、私は痛快に感じられた。数学の論理の枠組みでは、我々の小さな常識など、体(てい)をなしていないのだ。なぜなら、その常識が誤っているのだから。

【存在問題】

 「定規とコンパスだけを用いて3等分せよ」と言われたとする。実は、これが解けないというのが2000年近くかかって、解が存在しないことが、天才数学者ガウスによって証明された命題である。

 解が存在するか否か?この"存在問題"は重要である(なぜなら、解が存在しないのであれば、その問題は解決できないのだから)。

 本書では米国が月へ行けたことを例題に、次のように説明する。宇宙への旅立ちは、物理学的に月面へたどり着く条件はわかっているが、その微分方程式が"解けない"だけである。さらに問題を解く方法はわからなくても、解(かい)があることは証明されている(こちらは天才数学者コーシーが19世紀に証明している)。これによって、科学者は希望を持って研究をすすめることがてきる。ついに、コンピューターの計算能力があがり、近似解を解析できるに至り、人類は月面に降り立てたのである。

 本書ではこの存在問題をもとに、社会問題も切り込んでいるので、本書を読んでみてほしい。

(続く)

数学を使わない数学の講義 (WAC BUNKO 272)

数学を使わない数学の講義 (WAC BUNKO 272)

  • 作者:小室直樹
  • 発売日: 2018/01/27
  • メディア: 新書