【書評(続き)】お金の整理学 外山滋比古

https://trikiken.hatenablog.com/entry/2019/07/14/105524

 前回、「東大と京大で一番読まれた」で始まる本の帯でおなじみの『思考の整理学』、その著者である外山滋比古(そとやましげひこ)氏が書き下ろした新書『お金の整理学』での痛快に物事をこきおろした1つのエッセイについて紹介した。

 今回は、「思考を試すテスト」のいう章について、ここで書かれていることが、私自身が思い当たるフシがあったので、引用してみたい。

 筑波大学が、まだ東京教育大学という名称だった頃の話だ。

 付属小学校の入学試験は全国でも指折りの難しさだと言われていた。(中略)各地の塾では試験対策が練られ、学校側も塾の予想を裏切る試験問題づくりに熱心に取り組んだ。

 その結果、入学希望者たちの知識ではなく、自ら思考する力を問う、素晴らしい設問が生まれた。

 無駄に期待のハードルを上げるような書きぶりに感じたが、このあとに続く事例を読み、私は大学生(もしくは受験生)の頃に、同じような思考に陥っていたこと。当時のある種のおごりを思い出してしまった。

 試験会場に座る子供たちの前に1枚の紙が置かれ、その紙の上には、砂上の2つの山が作られた。この2つの山は片方が「砂糖」で、もう一方が「塩」である。それが試験問題だった。受験する子どもたちは大いに戸惑った。通っていた塾では、こんな設問への対策は教えてくれていなかっのだ。

 受験する子どもたちからすると、大人から正解の示されていない、教わっていない、もしくはパターン化できない類型の設問を出されると大いに戸惑う。

 多くの残念な人達はこの事例を見て、だからテストだけ出来る人間はだめなんだのような類の言葉をはさみがちではあるが、この受験の訓練を重ねた、中学生になる前の受験生たちは、明治大学レベルであれば、すでに入学できるぐらいの学力は身に付いている。

 この問題を解けないのは、子どもたちだけではなく、多くの大人も同じ結果になったと思う。

結局、ほとんどの子どもたちは「わかりません」と答えたらしい。

 これは、受験に望んだほとんどの子供が、すでに知識という枷(かせ)にはめられてしまったことを示している。知識だけでは正解にたどり着けない類の問題を解けないのだ。

 知識の枷(かせ)という言葉は、文学者らしい、妙を得た表現だと思った。

 私は、理系の大学に行っていたこと、物理、数学が得意だったこともあり、現実世界の物理現象は、紙の上で、すべてを数式で記述できると信じていた(現在、大学の入学試験、院試の試験を受けようとしている人は、このような思考に陥っている蓋然性が高いだろう)。

この問題の正解を導く方法は単純で、二つの山をそれぞれ舐めてみればいい。

(中略)

この素晴らしい入試問題からわかるのは、〈実験〉の大切さだ。

(中略)
あるべき順序は、まず実験なのである。
実験、思考、知識という順に段階を踏んでいくことで、人間は賢くなる。

 外山氏は、本書を大企業勤めのサラリーパーソンに向けに書いているようである。確かに、私の周りにも、知識だけ、口だけで、成功へとつながる具体的なプロセスを、行動を移すような人は、多くなかった。頭でっかちで、口だけという残念な人が多かった。

 この文章で引用しているところの〈実験〉を、サラリーマンは実行していくべきだろう。中身の無い、ただ単に他書の自己啓発本のコピべ芸の本を読むくらいであれば、本書に書かれている考えを、思考を身につけるべきであろう。月々の給料をベーシックインカムと考え、その最低所得補償があると考え、いろいろと実験を行っていくべきなのだ。

 でも失敗したらどうしよう?うまく行かなかったらどうしよう?と考える諸氏は多いと思う。そのような方には、次の言葉を、著書である外山氏は贈っている。

重要なのは、実験は〈失敗〉を伴うものであるという点だ。試行錯誤を繰り返すことからこそ、本当の思考力が身についていく。

 

お金の整理学(小学館新書)

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思考の整理学 (ちくま文庫)

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