【書評】お金の整理学 外山滋比古

 「東大と京大で一番読まれた」で始まる本の帯でおなじみの『思考の整理学』、その著者である外山滋比古(そとやましげひこ)氏がお金にまつわることを痛快なエッセーにしてまとめたのが本書『お金の整理学』である。

 タイトルからして『思考の整理学』を丸パクリした本かと思ったら、著者が外山氏本人ということもあり、興味をそそられ本書をジャケ買い。内容としては、お金の問題に対して目を背(そむ)けがちな諸氏へ向けて、文学者らしく、あらゆる語彙を駆使、痛快な言葉遣いと著者の鋭い視点から読者を魅了してくれる。

 私は本書を読むまで知らなかったのだが、外山氏は実は御年90を超えている。そして、過去に、彼は齢80を超えてから出版社を設立しようとしたなど、本業の文学にとどまらず、いろいろな分野で精力的に活動をしていたことに驚かされた。

 以前、何かのコラムで、聖路加国際病院の名誉院長であった日野原重明(ひのはらしげあき)を医者の仕事に拘泥(こうでい)している姿勢を批判的に語っていたが、言動不一致の老害が蔓延(はびこ)る世の中にして、骨の座ったたくましいお仁である。

 いろいろと読者の視点、既成概念を揺らいでくれる、面白いコラムが登場する中で、私がなるほどと思わせてけれたのが、「日本人は「アリ」ではなく「キリギリス」だった」の章についてである。まず引用してみたい。

日本人は「お金」について語ることを好まない。(中略)役人やサラリーマンはたいてい、お金のことについて口をつぐむ。(中略)実入りが変わらないのだから、結局、お金の話をしても面白くない。腹の底ではお金のことを気にしているのに、口には出さず、お金のことを言うのは「品がない」という空気が醸成されてしまう。

 だからはっきりと言いたい−−−お金は大事だ。

 とりわけ、長い老後を過ごすにあたって、もっとも大切なこものはお金だと言ってもいい。「お金の話」をすることも大切である。

 この引用箇所を読めば、著者はお金に汚そうに見えてしまうかもしれないが、そう考えてしまう、見えてしまうことが本質から目を背けてしまうのだ。外山氏はそのことを強く我々に戒(いましめて)めてくれる。

 高度経済成長期にさしかかる時代に、日本人を指して〈エコノミック・アニマル〉という呼び名が生まれた。

 欧米の白人からそのように呼ばれて、(中略)揶揄されたことが恥ずかしかったのか、その指摘の本質について誰も真剣に考えようとしなかった。(中略)

 しかし本来、わたしたちはこの時に、「本当に私達は〈エコノミック・アニマル〉なのか?」ということを自問するべきだったのだ。なぜなら、これは日本人が抱える本質的な問題を鋭く突いた指摘だったからだ。

 現在だったら、この〈エコノミック・アニマル〉という単語を差別だとTwitterやウェブメディアで騒がれ、それでこの言葉が使用されなくなるだけで終わるであろう。ここで外山氏が主張されているのは、欧米からの(差別ニュアンスの含んだ)罵詈雑言としての文脈ではなく、その元来意味するところである「お金」を稼ぐことにであった、動物的なスピリットを持って向き合っていたか?という、日本人への問いかけであると理解する。

 金融庁が問いかけた老後2000万円問題についても、本書指摘は繋がっているし、我々はそのことから逃げすぎている。そのことを再認識させてくれた、年齢が90を超える老人からであるが。