【書評】ヨシダ、裸でアフリカをゆく  ヨシダナギ

 幼少期にアフリカのマサイ族に魅せられ、アフリカの少数民族がいる地へ、女性一人、単身で乗り込み、現地の人々と同じ格好、ときに裸に近い姿になるのも厭(いと)わず、文字通り裸一貫(はだかいっかん)で少数民族の人々と交流、心の距離を近づけ、彼女ら彼らの姿を写真に収め続けているフォトグラファー、ヨシダナギ氏。

 ヨシダナギ氏が取る写真をみると、被写体となる少数民族の伝統衣装が鮮やかで、今までにない様相(まず我々の概念では想像もできない、美しく、摩訶不思議でもある伝統衣装などが登場する)で、見る側に新たな視点、感覚を突きつけてくれる(「ヨシダナギ」で検索すると、いろいろと写真が検索されるので見て欲しい)。

 その写真だけを見ると、スマートに仕事を遂行する様子を想像してしまうが、本書を読むとその考えは吹っ飛ぶこととなる。

 例えば、

(1)時に、アフリカ人の現地ガイドから、セックスの誘いが毎日あり、そいつと四六時中同じ空間にいなくてはならない。しかし、そいつを利用する以外に、目的とした少数民族へと出会うツテは無く、道中、我慢する必要があるとか

(2)時に、コンビニやスーパーはおろか、食べられるのは現地人が食している、衛生状態の怪しい生肉だけとか

(3)時に、治安情勢が悪い国で、現地の歩兵に捕まり、車から引きずり出され、同国のアフリカ人ガイドが号泣して、「殺さないでくれ」と懇願(こんがん)する状況を、彼女は楽しむとか

 こんな環境へ行けって言われても、あなたなら無理でしょ?好きな事(大好きなアフリカ人の少数民族と出会うこと)であろうが、命がいくつあっても足りないように思えてしまう。しかしながら、彼女が見てきた、出会ってきたアフリカ人(少数民族に限らず、都市部に住むアフリカの都会人など)についての彼女の視点、感じたことをを知ると、アフリカの大地に生きる人間の、その魅力というか、個性というか、力強く、そして素敵な人間模様に惹かれ、私はアフリカに行ってみたいとも思えた。

 こんなヨシダナギ氏だが、実は、勉強は得意ではなく、人見知りで、友達も少なく、不登校状態で中学校を不登校ドロップアウトしたといった経歴の持ち主(ヤンキーではないっぽい)。どこか親近感が湧いてくる諸氏もいるかもしれないが、私は彼女は根性が座りすぎているようにしか感じられない。それは、次の言葉から、そう感じた。

言語の壁を簡単にぶち壊してくれるのは゛態度で示すこと゛。

 何も大したことないだろと思った?イヤイヤイヤ、人見知りからすれば、この発言はあり得ないから。根性座ってるから。

ヨシダ,裸でアフリカをゆく

ヨシダ,裸でアフリカをゆく

 
ヨシダナギの拾われる力

ヨシダナギの拾われる力