【感想(続き2)】ヨシダナギの拾われる力  ヨシダナギ

https://trikiken.hatenablog.com/entry/2019/07/28/194356

 前回、ヨシダナギ氏が何かをトライする時、失敗するとわかっていながら「どのように失敗するのか」と心持ちをし、物事に取り組んでいる、やるだけやってみている事を紹介した。この話についてもう少し掘り下げてみたい。

 このやるだけやってみると同時並行で述べられていたことは、やってみてすんなり失敗したら、すんなりあきらめられるということ。

やってみて失敗したら、すんなりあきらめられる。それが私にとっては重要だ。
やらないでいたら、そのことがいつまでも気になって、他のことが頭に入って来ないのだ。

 彼女は二十歳ぐらいの頃、アフリカの少数民族へ会いに行くため、アフリカの奥地へ旅行する計画を立て、家族から猛反対をくらう。その時の状況について、次のように語っている。

 たしかに何が起こるかわからないし、英語も話せないくせに、少数民族たちが暮らす奥地まで行きたいというのだから当然止める気持ちもわかる。だが、そのときも私は、どう転んだって悪いようにはならないと思っていた。……最悪、死ぬかもしれないけど。
 それよりも、このまま何十年もアフリカに縛られている自分が嫌だった。それなら早く次に行きたい。アフリカに行ってみて、もし、最悪なことしか起こらなくてアフリカを嫌いになったとしても、それでも別にいい。忘れるか、次に行くかを決めたかった。

 ウジウジ悩んでるだけで、何も動けない人は多いと思う。このような心理状態の悩みを抱えている人に対し、彼女は次のように言う。

そして、よく思うのは「つらくて苦しい」と言いつつも、解決策を探さずに、その場に居続けている人たちを見ていると、「結局、それでいいと思っているんだろうな」ということだ。もし私なら、どうにかして抜け出す方法を考える。それをしないということは、今の状況を受け入れている、もしくは、あきらめているんだろうなと思ってしまう。

 この記述だけを読むと、強者の論理に聞こえてしまうかもしれないが、彼女の経歴は中学中退で、30歳近くまで実質的にニートをしていたに過ぎない。

 何よりも「苦なく生きること」が、彼女の中の大きな原理原則である。そして本書のタイトルにつながる拾われるチカラの要諦について、このように語られている。

苦しくて不幸そうな顔をしていたら、どんどん人は周りから去っていく。私は人と関わるのが嫌いなのだが、同時に、ひとりでは生きていけないとわかっているので、常に助けてくれる誰かを求めているし、誰かに必ず居てもらわなくてはならない。

 そのとき、とりあえずニコニコしていたほうが拾ってもらいやすいことは、年の人生で実証済みだ。
苦なく生きられたら、自然とニコニコしていられる。

 彼女の笑顔は動画でみた時、裏があるとまでいわないが、何ともいえない感覚を内包している感じがしたが、本書を読んで納得した。決して、ヘラヘラしているわけではなく、本気の一種の処世術だったのだ。

 自分は人と関わるのが好きではないと大きく予防線を張っておき、たまに少しは饒舌にコミュニケーションをとると相手としても悪い気はしない。これは人をだまくらかすわけではなく、助けを求めるための対処法であり、悪い気はしない。この考えは、人見知りの人にも大いに役立つと思う。

自分を助けてくれる人を
探すことにだけは必死になる。
そうじゃないと、
本気で生きていけない

 

ヨシダナギの拾われる力

ヨシダナギの拾われる力

 

 

ヨシダ,裸でアフリカをゆく

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