【感想】言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか 塙宣之
年に一度だけテレビ放送されているM−1という漫才大会がある。その漫才に出場し、辛くも優勝を逃した非関西系の漫才コンビ、ナイツの塙宣之氏が、M−1式漫才について考察したのが、本書「言い訳」である。
M−1というTV番組をみていないとわからない固有名詞が本書にはたくさん出てくるが、以前、この番組を見ていたことがあったので少しは理解できた。何とか、この少ない理解から、一般のサラリーパーソンが役に立ちそうな箇所を紹介していきたい。
まずは、自分の中で肚に落ちた、勝手に納得のいった箇所を引用したい。ほぼ自分向けの備忘録的な内容である。
最終決戦、ジャルジャルは一本目と似たようなパターンのネタを持ってきました。最初の一分くらいで、残酷なくらいお客さんの気持ちがサーッと引いていくのがわかりました。お客さんは、次はどんな新手のスタイルを見せてくれるのだろうと期待していたぶん、失望が大きかったのだと思います。本人たちは同じようなネタで、さらに爆発させようと思ったのでしょうが、お客さんは違った「同じだ」と既視感を覚えられてしまったのです。ジャルジャルは、システムや発想の斬新さで勝負するコンビです。要は、ネタです。人聞性はほとんど見えないですし、ミキのような話術があるわけでもない。お客さんがジャルジャルに期待したのはただ一つ、新しいスタイルでした。
ジャルジャルは個人的に好きな芸人であるが、漫才大会に出場していたのは知らなかった。この時の大会の空気感は分からない。しかしながら、一本目は良くて、二本目のネタみせで失敗するコンビはままいる。ジャルジャルもご多分に漏れず、そのような結果だったようだ。
そうではない芸人との違いは何なのかというと、結局は抽象的な言葉になるが、塙氏曰く、人間味とのことである。彼らがうまくいかなかったのは、システムとしてのネタを笑いに変換しているため(それ自体がずば抜けた才能なのだが)、二本目のネタでは観客サイドはデジャビュ感にとらわれてしまったと考察している。
もう一つ、予選では勝ち抜きながら、決勝ラウンドで優勝を逃したコンビの考察について、引用したい。オードリーについて。
オードリーは「敗者復活」「初出場」 だけでなく、「非吉本」で「非関西」だったので、シンデレラストーリーとしても完璧でした。これだけそろったら、ロイヤルストレートフラッシュですよ。ただ、最終決戦のネタは、第一ラウンドほどうねりませんでした。思えば、南海キャンディーズもそうでした。二組のネタは、他のコンビは真似できません。いずれもボケのキャラ前提のネタだからです。個の強さを生かした漫才は、もろ刃の剣です。特にこういうコンテストのときは、二本目のインパクトがどうしても薄れるし、既視感にとらわれやすいからです。また、二組とも一本目のネタの完成度が高過ぎたんでしょうね。改めて、M1で二本ネタをそろえることの難しさを痛感しました。
オードリーが出場した大会は見ていたので記憶にあるし、その時の空気感も覚えている。この大会で優勝したコンビより、オードリーの方がいいんじゃないかと思ったが、改めて大会動画を視ると、審査員はしっかりジャッジしたのだなと感心してしまう(そして、自分の見る目の無さを痛感する)。
オードリーの漫才はキャラ依存の漫才であるため、一本目に披露したときに感じた高揚感は、二本目のそれには感じられなかった。
強引にビジネスの場にくっつけて述べるなら、プレゼンではもしかしたら人間味のあるものを選ばれるのかなと。個人的には、プレゼンの出来不出来で判断するのは、ビジネスの場では御法度だとおもう。仮にジャッジするのが役員であれは、会社法上の背任じゃねーのかよとも思うのだが。そもそもプレゼンの良し悪しと、ビジネスには何の関係も無いし、それで判断するのであれば、詐欺師に騙されるのと同じようなこと。さらに余談だが、プレゼン資料の体裁直しとかに時間を使わせられるのは、とてつもなく苦痛。なぜなら時間の無駄だから(ほんとに、プレゼン資料の誤字脱字探し以外にやることねーのか、お前は?!)。
脱線したが、プレゼンの一発勝負を連想した場合、M−1の大会に出る出場者のやり取りは、なにがしの参考にはなるのかもしれない???
(続く)